2005年 03月 12日
仕事と生活 |
少し早いけれど、お彼岸の法要でお寺さんへ行く。
父のお骨を預けてあるお寺の住職さんは、昨年病に倒れて、少し麻痺が残っていらっしゃいます。イチバン大変そうなのは話すこと。毎回、塔婆代を出した家族の名前を呼ぶのですが、今回は近くによると、もぞもぞと呼んでいるらしい、ということがわかる程度でした。
住職さんともなれば、お経をあげ、お話をして・・・と声を発することがかなり大事な仕事になると思われます。 けれども住職であることは仕事であると同時に、きっと生活の一部でもあるはずです。 それなのに満足に声を出せない、なんてすごく辛いことなんだろうな、と思いました。
そんなことを考えているうちに、仕事が生活の一部ってどういうことだろう、なんてことを考えてしまった。 私にとって仕事はあくまで仕事で、決して生活の一部にはなりえない。 確かに生活の糧であり、長い時間をかけて取り組むものであるのだけれど、「では仕事はあなたの生活ですか?」と聞かれたら、やっぱり私にとっては「NO」になるんだと思う。 そして仕事と生活を切り離しているから、日々を過ごしていけるんだとも思う。 その2つの時間を、決してうまく切り替えることはできないのだけども・・・。
そう思いつつも、仕事を生活の一部にできる人のことをうらやましい、とも思ってしまうのです。すごく無理をしてでも、お勤めを果たしたい、と思える情熱は、やっぱり「一部」になっていないと出てこないんじゃないかな、と。
まだまだ私には情熱が足りないようです。 ストレスを抱え込むことがこわくて、ときどき遠くから眺めるように取り組んでしまったり。 それがかえってマイナスになることがわかっていながら。
仕事=生活が正しいと思うわけでも、それを目指したいわけでもないのだけれど、うまくバランスをとりつつ、情熱を持てることが望ましいですね。
なんかまとまりがなくなっちゃったけど。
父のお骨を預けてあるお寺の住職さんは、昨年病に倒れて、少し麻痺が残っていらっしゃいます。イチバン大変そうなのは話すこと。毎回、塔婆代を出した家族の名前を呼ぶのですが、今回は近くによると、もぞもぞと呼んでいるらしい、ということがわかる程度でした。
住職さんともなれば、お経をあげ、お話をして・・・と声を発することがかなり大事な仕事になると思われます。 けれども住職であることは仕事であると同時に、きっと生活の一部でもあるはずです。 それなのに満足に声を出せない、なんてすごく辛いことなんだろうな、と思いました。
そんなことを考えているうちに、仕事が生活の一部ってどういうことだろう、なんてことを考えてしまった。 私にとって仕事はあくまで仕事で、決して生活の一部にはなりえない。 確かに生活の糧であり、長い時間をかけて取り組むものであるのだけれど、「では仕事はあなたの生活ですか?」と聞かれたら、やっぱり私にとっては「NO」になるんだと思う。 そして仕事と生活を切り離しているから、日々を過ごしていけるんだとも思う。 その2つの時間を、決してうまく切り替えることはできないのだけども・・・。
そう思いつつも、仕事を生活の一部にできる人のことをうらやましい、とも思ってしまうのです。すごく無理をしてでも、お勤めを果たしたい、と思える情熱は、やっぱり「一部」になっていないと出てこないんじゃないかな、と。
まだまだ私には情熱が足りないようです。 ストレスを抱え込むことがこわくて、ときどき遠くから眺めるように取り組んでしまったり。 それがかえってマイナスになることがわかっていながら。
仕事=生活が正しいと思うわけでも、それを目指したいわけでもないのだけれど、うまくバランスをとりつつ、情熱を持てることが望ましいですね。
なんかまとまりがなくなっちゃったけど。
by blueariel
| 2005-03-12 23:38
| a day